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20代の女性が『留学したい』というと、どういうふうに受け取られるか。

会社を辞めて派遣で働きながら、フィンランド留学をめざして英語の勉強をしていたころ、同じ派遣の年上の女性が『留学女』と言ったのを今でも覚えている。

苛立たせてしまうのである。学校を卒業して勤め始めたものの、その生活に入社当時ほどの張りはなく、結婚もせず、将来は曇った空のようでどうにもならず、それを変えるための手っ取り早い、前向きな逃避。何言ってんのよ、1年や2年フラっと外国に行ったからって何も変わらないわよ。

そう思っていたのは父も同じだったかもしれない。



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私に向かってはっきり言いはしなかったけれど、父は私の留学に反対だった。

就職して、お金を貯めたらフィンランドに留学すると決めたのは、大学を卒業する時だった。お金の相談をする私に母は、行くなら自分の稼いだお金で行きなさい、と言った。お金の援助は大学を卒業するまで。

ではそうします、と働きながら、両親の家に寄生して、私は毎月10万ずつ定期預金に積み立てて行った。

私は自分の進路を両親に相談したことはない。そして高校、浪人、大学、就職、留学、全部自分で調べて決めてきて、それをただの一度も母が反対したことはない。むしろ彼女は、いつも私の選択を支持し応援してくれた。
好きなことがあるなんて幸せじゃないか、と。

父は違う。『女の子は浪人なんてせんでもええ』
聞こえるくらいの小さな声で、違う方向を向いて言う。

反骨心は糧になる。
絶対に、絶対に、大学に合格してデザイナーになってみせる。
こんなふうに敵意を含む感情を父に抱いたのは、これ一度きりではなかった。
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『ヘルシンキの大学に合格しなかったら、大阪で再就職させる』
という声が、居酒屋のむこうのカウンター席から聞こえた。
父が、店で会った近所の人と飲みながら、私に少し視線を滑らせて言った。
すでに仕事を辞めて、家で勉強をしている私の姿は、うじうじと夢見ているだけの甘えにすぎない。父にとってはそういうことなのだった。

させる?
大学に落ちたとしても、大阪でなんて就職するもんか!
何が何でもフィンランドに行く以外ない!


ヘルシンキ芸術大学を受験し、その結果はなかなか届かなかった。

やっと届いた大学からの封書。薄い、ペラペラの封筒。
まさか、と思いながら読む。
『残念ながら‥‥』で始まる一枚きりの紙、何度も何度も読み返して、頭から血の気が失せていくのがわかった。世界が白くなる。

父と母にダメだったと伝える。
そう、残念だったね、と話したあと、彼らはすぐに違う話題に移っていた。
少しして、私が落ちて彼らがほっとしているのだと理解した。
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暗い部屋でベッドに横になり、どうする、どうする、と何度も考える。

明け方、コンピュータを立ち上げ、ラップランド大学の教授に送るファックスの文面を書き始めた。たまたま大阪でお会いした、工業デザインの教授。彼にお願いして、ラップランド大学に入れてもらうことはできないだろうか?今むこうは何時だ?お願い!先生、大学にいて!
そう願いながら、メールも同時に出した。

あ、また、両親に何も相談しなかった、と疲れて朝、布団に入る前に思った。
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ラップランド大学には、ヨーロッパ、アフリカ、中国からもたくさんの留学生が来ていた。拍子抜けするほど、ヨーロッパの彼らにとって留学というのは気軽なものだ。電車で来れる距離の子もいる。経験のために、と彼らはやってくる。何年も貯金して、会社をやめて、意地をはって辿り着いた学生は私ひとりのようだった。

私のフィンランド行きの目的は、勉強じゃない。本当は、仕事をするため、フリーのデザイナーとして、英語で働くために、現地に何らかのコネが必要で、それには産学協同の進んだ大学に籍を置くのが一番の近道と考えたのだった。何もせず日本に帰るわけには行かない。実績がほしい。そして、両親には言わなかったけど、日本へ帰る気持ちは、本当は最初からなかった。

留学経験があるってのを利用して、名前をうりたいんやろ?

これは誰の言葉だったろうか。数年の留学経験程度のものが、デザイナーのウリになどなるものか。そんなものは期待していない。

何か形を残さなくては。そう思いながら、留学2年目にやっと、個展開催の手はずを整えた。英語で話せるようになってきて、フェルトに出会えて、進むべき方向が決まったのだった。

父の言葉が、誰かの言葉が、私を奮い立たせていた。
遊びじゃないんだ。
ここで仕事をしたいんだ!
睡眠時間が足りなくて、仕事量が多すぎて、何もかもひとりでやらねばならなくても、私はひたすら、父を見返すつもりで、起きて作業を続けた。
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個展の様子は、地元の新聞が2度大きく取り上げてくれた。大学の関係者でない、外部の人が批評をしてくれたことが、私の力になった。

その後ヘルシンキでフェルトの作品のマーケティングを始めて、初めて自分のデザインしたものでお金を稼いだ。


翌年、私はフィンランド人と入籍し、初めて両親をロバニエミに招待した。入籍の時、両親はまだ彼の顔すら見ていなかったのだけれど。

私が住んだ学生寮、自転車や徒歩で毎日通った大学の校舎。その片道3,5キロの道のり。私が選んで過ごした場所に父が、母が立っていた。


両親が帰国の途につくヘルシンキ空港。外国人に囲まれると、日本人の小ささは不安になるほどで、それが私の両親なのであって、このまま二人きりで日本まで着くのかどうか心配でならなかった。

その父が言ったのだ。

80パーセントで、がんばりなさい。




なんだ。知ってたのか。
あなたに見せてやりたくて、見返してやりたくて、無理して頑張り続けてきたんだよ。
目が潤み始める。
ここで泣いてたまるか。

リュックを背負った見慣れた小さな後姿が、パスポートコントロールを通り抜けて遠ざかっていく。もう涙をこらえられなくなっていた。

私はこんなに遠くまできちゃったんだ
と、この時になって初めて、思った。
by aikafeltworks | 2008-07-26 02:41 | Aika Felt Works
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